ティモシー・ウィリアムソン『どのようにして我々はあそこからここまでやってきたのか: 分析哲学の変容』
Wittgenstein’s main influence at that time was through his later work, although few of those under the influence imitated his style of philosophizing in that work. Most engaged in overt theorizing of a more or less systematic kind. The citadel was the Private Language Argument, from which he exerted his power over the philosophy of mind and the philosophy of language. The growing external threat to that power from cognitive psychology was surprisingly little felt in 1970s British philosophy. But there was also an internal threat. For how exactly was the Private Language Argument supposed to work? Wittgenstein’s presentation was notoriously Delphic. The simplest and clearest reconstructions had the argument rest on a verificationist premise to the effect that one couldn’t be in a mental state unless some independent check was possible on whether one was in that state. But it was generally agreed that if the argument rested on a verificationist premise then it was not compelling, because verificationism could not just be assumed without argument. Defenders of the argument insisted that it worked without such a premise, but could not satisfactorily explain how (a similarity with Davidson’s transcendental argument mentioned above). Wittgenstein’s citadel was in danger from within; his power was waning as a result.
この時〔1970年代〕のウィトゲンシュタインの主な影響は彼の後期の著作によるものだったが、彼の影響を受けた者達の中で、後期ウィトゲンシュタインの哲学の仕方自体を真似たものはあまり多くなかった。
〔そうではなく、〕多くの者は、ある程度〔後期ウィトゲンシュタインが退けたような〕体系的な種類の理論化を公然と行っていたのだ。
ウィトゲンシュタインの砦となったのは私的言語論証で、ウィトゲンシュタインはそこから心の哲学と言語哲学に対する力を及ぼしていた。
この力に対する、認知心理学という外からの脅威の拡大は、1970年代のイギリス哲学において驚くほど少ししか気にされていなかった。
しかし、内側からの脅威があった。
そもそも私的言語論証は正確にはどういうふうに成立するものと考えられているのか?
ウィトゲンシュタインの提示の仕方は、悪名高いことに、ぼやけた神託的なものだ。
私的言語論証の最も単純で明快な再構成は、実質的に、「人がある心的状態にあるためには、その状態にあるという独立のチェックが可能でなければならない」という検証主義的な前提に依拠するものだ。
しかしもし私的言語論証が検証主義的前提に依拠するとなると、検証主義自体が論証されなければならないということになるので、あまり説得力がない、ということが一般的に合意されていた。
私的言語論証の擁護者たちは論証はそのような前提が無くても成り立つと言い張っていたが、実際どう成り立つのかを十分に説明することができなかった (前に言及したデイヴィッドソンの超越論的論証に関してと同様に)。
ウィトゲンシュタインの砦は内側からの危険にさらされていた。
その結果として、ウィトゲンシュタインの影響力は徐々に減っていた。(p.29)
認知科学でも反表象主義の人がいるから、かならずしも認知心理学が私的言語論証に反対するというわけではないんじゃなかろうか (いや、反表象主義者だからといって私的言語論証に賛成するとは限らないか)。
Here are two snapshots of the decline in Wittgenstein’s standing. The first is of a meeting in about 1994 of the ‘Tuesday group’, originally founded by Ayer on his return to Oxford in 1959 as a counterweight to Austin’s Saturday morning meetings. Susan Hurley read a carefully reasoned paper against the Private Language Argument to an audience that included many leading Oxford philosophers. The audience divided by age. Roughly, those over fifty did not take the possibility seriously that Wittgenstein’s argument was fundamentally flawed, although they also did not explain how it worked or what it showed; those under fifty were more sympathetic to Hurley’s objections.
ウィトゲンシュタインの地位の衰えを表す、2つのスナップショットを紹介したい。
1つ目は1994年の「チューズデイ・グループ」(このグループはオースティンの土曜の朝のミーティングに対抗して、1959年にオックスフォードに戻ってきたエイヤーによってもともと結成された) でことだ。
スーザン・ハーレイが、オックスフォードの指導的な哲学者の多くを含む聴衆たちを前に、私的言語論証に反論する慎重な議論がされた論文を読んだ。
聴衆たちは年齢で分かれた。
大雑把に言って、50歳より上の者はウィトゲンシュタインの議論が根本的に問題アリという可能性を受け止めることができなかった (しかし彼らは同時にその論証がどのように機能するのかとか論証が何を示しているのかとかを説明できなかったけれど)。
50歳より下の者はハーレイの反論に好意的だった。
The second snapshot is of a large graduate class on philosophical logic shortly after my return to Oxford in 2000. One student kept pressing the Wittgensteinian line that contradictions are meaningless rather than false. I kept giving the standard responses, that contradictions have true negations while the negation of what is meaningless is itself meaningless so not true, that the compositional semantics generates meanings even for contradictions, and so on, whose effect was merely to elicit variations on the same theme that did not meet the objection. Eventually I became exasperated and said ‘Maybe Wittgenstein was just wrong; it wouldn’t be the first time’. There was a collective gasp of shock. I have never again witnessed such a reaction when Wittgenstein’s name was taken lightly.
2つ目のスナップショットは2000年に私がオックスフォードに戻ったすぐ後の哲学的論理学の大きな大学院生クラスでのことだ。
1人の学生が矛盾は偽ではなく無意味(meaningless)であるというウィトゲンシュタインの路線で続けていた。
私は、「矛盾の否定は真だが、無意味なものの矛盾は無意味になり真にはならない」、「合成的意味論は矛盾にも意味を与える」、といった標準的な回答を行ったが、返答はそのような標準的回答に返答できていない同じテーマの反復を行うだけだった。
ついに私は怒って「たぶんウィトゲンシュタインが単純に間違っているだけだ。それは初めてのことじゃないはずだ」と言った。
複数人がショックで息を飲んだようだった。
私は、これ以降でウィトゲンシュタインの名が軽く扱われたときは、このような反応は二度と目にすることは無かった。
(p.30)
矛盾の否定である恒真も無意味であると回答すればよかったのでは
(しかしそうしても、矛盾が偽であることを否定できるわけではない。偽かつ無意味なものがあるというだけになる)
ウィトゲンシュタインの無意味には2種類あるみたいな話なかったっけ
クワイン「なにがあるのかについて」に、矛盾が無意味とする説への批判がある。いわく、そうすると否定導入を使った論証は途中で無意味なことが出てくることになる。
As behaviourism lost its authority, Thomas Nagel (1974) led the way in talking directly about conscious experience. (p.33)
トマス・ネーゲルが出てきたのは、認知科学が行動主義を倒したから。←ちょっとびっくり。
ネーゲルは認知科学への反動というふうにも見えるので。
まあなにかへの反動が生じるのはそれが存在するからではないかな…
分析形而上学に好意的な立場から、反形而上学的な要素がある分析哲学の伝統から様相実在論に代表される極端な形而上学が生まれた経緯の歴史について書いてある。
「歴史は勝者によって書かれるというが、分析哲学では歴史は敗者によって書かれる」
リチャード・ローティ評
世界についての事実と世界についての事実の選言は世界についての事実である。
「火星の土が湿っていた」は世界についての言明。
「火星の土が湿っていなかった」も世界についての言明。
だから、「火星の土は湿っていたまたは湿っていなかった」(排中律の具体化)も、世界についての言明。